不幸キャラは美味しい

誰かに褒められると「いえいえ、そんな!私なんて」と謙遜することはないだろうか?
わたしはふとした瞬間に、褒め言葉を否定で返す癖があった。
「ありがとう」とにこりと返すだけでいいのに、「そんなことないんです!こんなにダメなところがあるんです」と力説をする。
なぜそうするかというと、良い想いをしてはいけないという刷り込みがあったからだ。恵まれている部分があると、誰かに嫌な思いをさせてしまう。嫉妬されることもある。仲間外れにされてしまう。
幸せそうに生きている人に、他人は厳しい。
行きたい場所に行っている、美味しいものを食べている、素晴らしい人達に囲まれている、欲しいものが買えている、願っていた夢が叶っている、こんな特別待遇を受けている、売り上げが上がっている、、
そうしたものを見聞きすると、「私はできないのにあの人はズルい」とか「幸せアピールがうざい」と思われてしまう。だから幸せは控えめにして、隠さないといけない。
SNSで発信をするとき、「幸せな内容」と「不幸な内容」を投稿すると、どちらが反応がいいかご存知だろうか。
断然!「不幸な内容」だ。8倍もリアクションが変わるのだそう。
「旦那に不倫された」「彼氏がいない」「人に嫌われる」「詐欺に遭った」こういう内容はものすごく人気が出るのだとか。
不幸な人を見ると、共感し、応援してくれる。
実際のところ、私は幼少期からうっすら不幸だった。母が病気で、家庭は荒れていた。暴力も受けたし、心も傷ついていた。
幸せな家族で育った子が羨ましかった。健康なお母さんと温厚なお父さんがいる。それなのに文句を言っている友達が腹立たしかった。
事あるごとに、「母が病気なんです」と語っていたのは、幸せな人を羨んだことがあるからかもしれない。何も語らないと、恵まれてる側に見られてしまう。ちゃんと不幸であることをアピールしなきゃ、仲間に入れてもらえないし、共感してもらえないと思い込んでいた。
そういえば、最初にそう思ったのは母に対してだ。身体が不自由になった母に「外で遊びたい」と言えなくなった。私がひとりで遊びに行ったら、母を不幸にしてしまう。「私は外へ行けないのに、自分だけ自由に動いてずるい」そう思われて、嫌われるのが怖かった。
こうやって少しずつ不幸キャラを定着させた。
不幸キャラは美味しい。ときには慰めてもらえるし、同情もしてもらえる。自虐すればみんな笑ってもくれる。不幸は不幸の仲間を作り、連作していく。
今日、振り返りワークで講座生さんたちと話していた。
みんなで今月できたことを振り返る。「イベントが成功した」「みたかった映画を見れた」「アイディアが降ってきた」それぞれの報告を幸せな気持ちで聞いていた。みんなが幸せだとわたしも幸せな気持ちになる。
講座生のひとりがこんな話をしてくれた。「全国で豪雨や災害が起こっているけれど、ここにいるみんなが無事だと安心する。幸せでいて欲しいなと思う」と。なんて優しいのだろうと思う。それと同時に、わたしも同じことを思っている!と気がつく。
幸せな話を聞くのは嬉しい。ほっこりする。幸せそうな人を見ると元気をもらう。よかったね、と思う。誰かのことを羨ましいと思うこともある。「は?」とムカつくこともある。じゃあその人に不幸になってほしいかというと思わない。むしろ、誰かが不幸を感じていたとしたら、幸せに転換していく考え方を伝えられる自分でいたいと思う。
私に不幸キャラは似合っていない。
幸せキャラがお似合いだ。そう思っていていいんだよ。
たくさん幸せでいて良いし、幸せをアピールしたっていい。幸せでいることに遠慮しなくていい。
褒められたら、「ありがとう」ってにっこりしていよう。
私の幸せを喜んでくれる人たちと、これからも付き合っていこう。
私の不幸を願う人がいたら、無理に好かれようとせずそっと離れればいい。
たまには昔のキャラ設定が顔を出すかもしれないけど、、幸せでいていいんだよ。幸せでいてね。もっともっと幸せになってね!



