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ねえねえ、私ってどんな人?
SNSで流行っている分析が面白くて、夢中で試していた。 chatGPTに 私を神様に例えるなら? 私を動物に例えるなら? 私を歴史上の人物に例えるなら? 私をアニメキャラに例えるなら? 私を色に例えるなら? と聞いていく。 そうすると、私に類似するものを教えてくれる。 ▷私をアニメキャラに例えるなら? 「胡蝶しのぶ」にかなり近いと思う。 柔らかく見えるけれど芯が強く、相手をよく観察しながら、自分なりの世界観や信念を大切にするところ。 そして「人を癒したい」だけではなく、その人が自分自身で生きられるようにしたいという感じが、あなたと重なる。 チャットGPTより ▷私を色に例えるなら? 「暁のすみれ色。やさしさの中に、燃えるような芯がある」 あなたは会話の雰囲気だけを見ると、かなり柔らかい人です。 「こういう世界を伝えたい」 強い自分の美意識があります。 可愛らしさはある。でも、ピンクだけではあなたを表現できない。 チャットGPT ▷私を歴史上の人物に例えるなら? 清少納言は、ただ「昔の知識を伝えた人」ではなく、自分の目で見た世界を、自分の言葉で残し


あなたは陰タイプ?それとも陽タイプ?
自分が「陰タイプか陽タイプか」ご存知でしょうか? こう聞くと、『陰キャ、陽キャ』をイメージするかもしれません。
暗くて内気な陰キャ、明るくて社交的な陽キャといった感じですね。
私が言っているのはそれとは違うものです。
あなたの陰陽というものが存在します。
陰陽論では、この世のすべては『陰』と『陽』 例えば月と太陽、男と女、動と静など、真逆の性質を持つものがバランスを取りながら支え合っていると考えます。 あなたも生まれる時に
『陰』タイプとして生きるか 『陽』タイプとして生きるのか 自分で決めて生まれてきています。 陰タイプの人と陽タイプの人では、性質や運気の流れが違います。 物事の捉え方や生き方のアプローチが違うという感じです。 家族や恋人、同僚で理解できない人がいる場合はそもそも陰陽の違いがあることも多いです。 どちらが当てはまるかチェックしてみてください
!! ▷陰タイプの人 スモールステップで物事を動かすことが得意です。「木を見て森をみず」視点が狭く深いのが特徴です。 行動をするときは小さく試し、少しずつ規模を広げていくことがお


親友が欲しい人生だった
「親友」が欲しかった。 「親友」がいたことのない人生だった。 ノートに書いている夢リストには、毎年「唯一無二の親友が欲しい」としつこく書き続けた。 同じ高校から一緒に大学進学した子がいた。 同郷で、同じ学部で、同じ部活で、お互い初めての一人暮らしで、支え合っていた。 私は親友だと思っていたけど、彼女には地元に幼い頃からの大親友がいるという。それに私以外にも仲の良い友達がたくさんいた。誰とでも仲良くなれる子だった。 「美穂子は親友じゃないよ」と言われたわけではないけれど、片思いのように寂しかった。ひょんなことから喧嘩になって「私の気持ちなんてどうせ言ってもわかんないよ」と突っぱねた。どんなときも大切に関わってくれていたのに、私はいつも無いものねだりだった。 その後、専攻が別々になり一緒に過ごす時間はなくなった。何年も連絡を取っていなかったのに結婚式に呼んでくれた。東京から岩手へ、ご祝儀を抱えてすっ飛んで行った。友人の結婚式に参列したのは人生でその1度だけ。 彼女が用意してくれたメッセージカードには「美穂子は美穂子のままでいてね!ずっと応援しているよ


人生の一部を渡し合う
今日は上級講座の最終日でした。起業当初から講座を受け続けてくれたお客様。出会いは副業で始めた外見診断を受けにきてくれたことです。 その後、2023年の5月に起業し、11月から本格的に長期講座をスタートしました。外見の講座、ビジネスの講座、陰陽五行の講座、提供する内容が定まらずコロコロ変わっても、出す講座は全て受けにきてくれました。約3年を共に過ごしました。 最初は「何もやりたくない」「動きたくない」と、鬱っぽい症状だった彼女。そこから3年の間に、イベントを開催したり、ビューティージャパンコンテストに出場したり、男性とデートしたり、仕事の環境が劇的に改善したりと大きな変化を起こしていきました。運気の使い方もバッチリで、良い流れが向こうからやってくるようになりました。 「軽やかに行動できる自分になりたい」と言っていたところから、本当に羽が生えたように舞い上がりました。1人のお客様とこれだけ密に関わり、どんどん変化していく姿を目の当たりにしたことは私に大きな光を与えてくれました。 セッションをしたり、メッセージのやりとりしたり、振り返りをしたり、セミナ


愛という名の呪い
私の人生は、ほとんどが母のためのものでした。 もちろん自分のために勉強し、仕事をし、恋愛をしていましたが、それは表面的なことで、内側にはずっと母がいました。 母は私を39歳で産んでいます。今ではこの歳の出産は珍しくないですが、当時は高齢出産でした。 年の離れた姉が2人いて、さらに私ができたとき「もう身体がボロボロだから、3人目は産んではいけない」とお医者様に止められたそうです。 それでも「せっかく宿った命を殺すなんてできない」と、周囲が反対する中で生まれたのが私です。 この話を何度も何度も聞いて育ちました。母の武勇伝みたいな感じ。私も感動エピソードとして素直に受け取りました。「大変な想いをして産んでくれたんだ!母がいなければ私は存在しなかったんだ」と。 それは、美しいものにみえて、愛という名の呪いにかかった瞬間かもしれません。 母が脳梗塞で倒れたときに、自分を責めていました。幼いながらに、母が大きな病気になってしまったことと自分を産んだことを結びつけていたのです。 一人暮らしをはじめて、母と離れて暮らすことができても、毎日電話をして、母が幸せかど


陽のエネルギーが最大になる!9月9日重陽の節句
陰陽五行では、3月3日、5月5日、7月7日など 奇数が重なる日を「五節句」として大切にしています。 五節句とは、もとも中国で生まれ、日本に伝わってきたものです。季節の節目のお祝いと、邪気払い行事が行われます。 9月9日、重陽の節句もその1つです。 陰陽思想では、奇数を「陽」の数字、偶数を「陰」の数字とします。 9は、一桁の数字のなかで最も大きな数字ですね。 9と9が重なる日は、陽と陽が重なるので「重陽」と呼ばれ、最もエネルギーの大きなおめでたい日とされています。 ただ、古くから「陽と陽が掛け合わさると、陰に転じる可能性がある」という考え方があります。おめでたい日をお祝いすると同時に、長寿や健康を願い邪気払いが行われてきました。 そのときに使われたのが菊の花です🌼 9月9日は別名「菊の節句」とも呼ばれています。 菊は秋に咲く花で、生命力がとても強い花。 日本では仏花のイメージが強いですが、不老長寿の象徴とされています。 昔の人は9月9日に菊を浮かべたお酒を飲んだり、菊の花のお風呂に入ったりしていたそうです。今でも9日付近に神社に行くと、菊の花が飾


9月スタート!開運アクション
9月に入り、1週間ほどが経ちますがいかがお過ごしでしょうか。 旧暦では、9/7からが9月になります。切り替わるのは7日の23時過ぎなので、実質は8日からが本格的な9月がスタートします。
9月7日は「白露(はくろ)」といいます。 朝晩の気温が下がり、草木に白く輝く露(つゆ)がつく様子を表しています。ここからまた、一段と秋が深まります。 9月になると、栗やカボチャ、サツマイモなどおいしいものが出てきます。実りの秋が来たな〜と感じますね。それと同時に2026年の終わりが見え始めて、寂しさも出てきます。
さて、そんな9月の開運テーマをお伝えします。
それは
『自己対話する』
ということです。 8月は、新しいことに挑戦する、新しい場所で新しいものに出会う。外へ向けて行動していくことがポイントでした。 9月は、行動しながらも、 「今何を感じてる?」 「本当はどうしたいと思っている?」 というように、自分とたくさん話をする時間をつくってみてください。 忙しくしていると自分の内側に目を向けないまま、 時だけが過ぎてしまいますよね。上半期から8月


不幸キャラは美味しい
誰かに褒められると「いえいえ、そんな!私なんて」と謙遜することはないだろうか? わたしはふとした瞬間に、褒め言葉を否定で返す癖があった。 「ありがとう」とにこりと返すだけでいいのに、「そんなことないんです!こんなにダメなところがあるんです」と力説をする。 なぜそうするかというと、良い想いをしてはいけないという刷り込みがあったからだ。恵まれている部分があると、誰かに嫌な思いをさせてしまう。嫉妬されることもある。仲間外れにされてしまう。 幸せそうに生きている人に、他人は厳しい。 行きたい場所に行っている、美味しいものを食べている、素晴らしい人達に囲まれている、欲しいものが買えている、願っていた夢が叶っている、こんな特別待遇を受けている、売り上げが上がっている、、 そうしたものを見聞きすると、「私はできないのにあの人はズルい」とか「幸せアピールがうざい」と思われてしまう。だから幸せは控えめにして、隠さないといけない。 SNSで発信をするとき、「幸せな内容」と「不幸な内容」を投稿すると、どちらが反応がいいかご存知だろうか。 断然!「不幸な内容」だ。8倍も


お葬式で癒される
祖母の納棺に参列しました。 納棺師がいらして、祖母の身体を洗い清め、身支度を整え、棺に納めていきます。 ひとつひとつの動きが丁寧で、祖母を大切にしてくれているのがわかりました。参列者たちが涙を流しながらみています。 足袋を履かせるときに、「結びたい人はいますか?」と聞いてくれます。最後に祖母に触りたい、と思うのですが手を挙げられません。 誰も手を挙げません。 姉が「みっちゃん、やったら?」と声をかけてくれたのですが、「う、、、ん、大丈夫、、」と言ってしまいました。 喪主の叔父や叔母を差し置いて、ほとんど会いに行けなかった私が前に出るのはおこがましい、と思ってしまったのです。 あぁ!祖母との最後の時間なのに、遠慮してしまった。祖母の手を握りたかった、、、。 祖母には薄く化粧が施され、頬にはワタが詰められてふっくらとしました。とても穏やかな顔をしています。 最後の最後に「この後、納棺したらお身体には触れられなくなりますが、手を握りたい人はいませんか」と聞いてくれました。 これは絶対に逃してはいけない!と姉を連れて2人で手を握りに行きました。...


おばあちゃん、ありがとう
祖母が亡くなりました。 母の母です。102歳、大往生でした。 100歳まで自分で生活し、大きな病気もせず、好きなものを食べて生きていました。祖母の家はいつも綺麗に整っていて、埃ひとつなく掃除されていました。 私が4歳の時に、母が脳梗塞で入院した時、 しばらく祖母の家に預けられました。 寂しかったけど、寂しくなかったのは おばあちゃん(おじいちゃん)が一緒にいてくれたから。 幼稚園から帰ると、必ず迎えにきてくれて、 大きなおにぎりとお茶を入れて待っていてくれました。 1度も怒られたことはなく、「こんな良い子はいない」と褒められ甘やかしてくれる貴重な存在でした。だけど観たいテレビ(大相撲)は絶対に譲らないところも好きでした。 私だけでなく、誰に対しても豪快な笑顔で接し、愚痴は言わない人。 気に入らないことは本人に直接言う潔さも持ち合わせていました。 私が一人暮らしを始めてからは、かれこれ7年ほど文通をしていました。祖母の選ぶポストカードは季節を感じたり、ほっこりするものばかり。決まって「みっちゃん、お元気ですか?」から始まり「みっちゃん、またね」で終
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