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愛という名の呪い

18 時間前
読了時間: 3分







私の人生は、ほとんどが母のためのものでした。

もちろん自分のために勉強し、仕事をし、恋愛をしていましたが、それは表面的なことで、内側にはずっと母がいました。


母は私を39歳で産んでいます。今ではこの歳の出産は珍しくないですが、当時は高齢出産でした。


年の離れた姉が2人いて、さらに私ができたとき「もう身体がボロボロだから、3人目は産んではいけない」とお医者様に止められたそうです。

それでも「せっかく宿った命を殺すなんてできない」と、周囲が反対する中で生まれたのが私です。



この話を何度も何度も聞いて育ちました。母の武勇伝みたいな感じ。私も感動エピソードとして素直に受け取りました。「大変な想いをして産んでくれたんだ!母がいなければ私は存在しなかったんだ」と。


それは、美しいものにみえて、愛という名の呪いにかかった瞬間かもしれません。



母が脳梗塞で倒れたときに、自分を責めていました。幼いながらに、母が大きな病気になってしまったことと自分を産んだことを結びつけていたのです。


一人暮らしをはじめて、母と離れて暮らすことができても、毎日電話をして、母が幸せかどうかを確認する日々でした。


介護が始まったばかりの頃は、親がこうなんだからしょうがない。「私の人生、詰んだな〜」「来世に期待!」もう母の介護が終わったら死んでもいいかな、というところまでいきつきました。



自分の人生を母と切り離して考えることはできませんでした。今もまだできません。




ここしばらく、介護を新たなフェーズへ進めようと模索していました。


「デイサービスに行く時間と回数を増やして欲しい」とお願いするも、

なんでそんなこと言うんだ、ひどい!と言われるばかりで話し合いにもなりません。


今までもこうして介護サービスを導入しようとしては、失敗を繰り返し、癇癪を起こしたり体調を崩す母。「ああ、もう何もかも面倒だから私がやろう」という着地になることが多かったです。


今はまだ道半ば。それでも陰陽五行の力を借りてここまできました。絶望から抜け出すことができました。


今日は自分の夢を叶えるための一歩を踏み出したんです。今の介護生活では叶えられないと諦めていたことに取り組んでいます。(またいつか話しますね)







「母が病気になったのは、私を産んだから」この呪いとはさようならですね。

「母のために生きなくては」というのもお別れです。

私は私が主役の人生を生きていきます。




暦って優しいなと思うのは、今日も含めて何度でも生まれ変わるタイミングが来ることです。今日手放して、宣言しても、また少し元に戻るかもしれない。


人生かけて背負い込んできたものを1度にパッと手放せなくてもしょうがありません。次に秋分の日がきたり、冬至が来たり、自分だけのスーパー開運日が来たり。タイミングはまたやってくるのです。


そのときにまた、同じように手放したり宣言すればいい。今日とは違う形になっていてもいい。そうして少しずつ積み重ねるなかで、いつか何もかも気にならなくなる日がくるのでしょう。

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